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平知盛の刺青|平氏一門の最後!知盛のタトゥーデザインのご紹介

 

平氏と源氏が一族の存続をかけて争った源平合戦。

争いを最後まで見届けたのが平安時代後期の武将・平知盛(たいらのとももり)です。

彼が刺青の題材として選ばれる際はおどろおどろしい図柄の物が多いです。それは彼が有名な大戦で負けたこと、その後を描いた「船弁慶」の様子が描かれることが多かったためです。

平氏の総大将ともなった彼のその最後まで、この記事では平知盛の生涯を紹介します。

デザインの特徴

知盛の逸話

平氏の全盛期から平氏権勢への反乱

平知盛は、1152(仁平2)年、平清盛の四男として生まれます。

清盛は知盛に多大な期待を寄せており『入道相国最愛の息子』と周囲に呼ばれていたといいます。

1179(治承3)11月、後白河院との対立による『治承三年の政変』により後白河院政を停止させ、平氏は権力の頂点に立ちます。

1180(治承4)4月、以仁王(もちひとおう)の挙兵が起こり、清盛は以仁王と反旗をひるがえした源頼政に追い討ちをかけます

その後、山門の不穏な動きや反平氏の動きが強まり、清盛は福原遷都を強行。しかし源頼朝の挙兵により平氏軍は敗北。わずか半年で知盛は安徳天皇を守護しながら京に戻ります。

清盛の死と一門都落ち

同年12月、清盛の命により知盛は甥・資盛(すけもり)と共に京近郊の反乱軍を鎮圧。

手柄を立てた知盛でしたが、病に倒れて京に戻ることを余儀なくされます。

その後清盛が病に倒れ、1181(治承5)年閏24日死去。

清盛死後は宗盛が指揮を取り、同年3月の墨俣川の戦いで勝利しますが、1183(寿永2)『倶利伽羅峠の戦い』で敗北し、京へ退却します。

倶利伽羅峠の戦いの画

倶利伽羅峠の戦いの画

平氏軍は反乱軍を迎え撃つ体制を構えるも、反乱軍が京を封鎖する動きを見せたため宗盛は都落ちを決断し、西国へ向かいます。

平氏の反撃

九州に落ち延びた平氏は九州でも反平氏の攻撃に遭います。その後四国の屋島を拠点に知盛は総指揮官として軍の整備を進めます。

同年9月『水島の戦い』で大勝し、福原を占拠した勢いに乗じて上洛する意向を示すも宗盛に却下。

翌年1184(寿永3)年『一ノ谷の戦い』で嫡男の平知章が知盛の身代わりとなり討ち死に。わずか16歳の息子の死に知盛は涙を流したといわれています。

壇ノ浦の戦いと知盛の最後

一ノ谷の戦いで打撃を受けるも平氏軍は屋島に城郭を築き、宗盛は屋島に、知盛は彦島に軍営を置きます。

知盛が九州の兵と門司関を固めている間の1185(寿永4)2『屋島の戦い』で義経の急襲を受け敗北した宗盛は残った軍を連れて彦島に逃れます。しかし源範頼が在地武士の協力を得たため、一門は彦島で孤立します。

そして同年3月の鎌倉軍と最後の戦闘となる『壇ノ浦の戦い』で知盛は総大将として指揮を取ります。

平氏軍は潮の流れを利用して戦いを有利に進めますが、潮の流れが変わったことに加えて四国・九州の武士たちの寝返りにあい、海の上で追い詰められた一門は滅びの道を選びます

歌川国芳による平知盛の武者絵

歌川国芳による平知盛の武者絵

幼い安徳天皇と二位尼が入水。知盛はその様を最後まで見届け、乳兄弟の平家長と共に海に身を投じました。享年34

落語船弁慶より

平家追討に功績をあげた源義経でしたが、頼朝に追われておりました。

義経は、弁慶や忠実な従者とともに西国へ逃れようと、摂津の国大物の浦へ到着します。

義経の愛妾(めかけ)、静も一行に伴って同道していました。しかし弁慶の進言により、女の身で困難な道のりをこれ以上進むことは難しい為、都に戻ることになりました。別れの宴の席で、静は舞を舞い、義経の未来を祈り、再会を願い涙ながらに義経を見送ります。

 静との別れを惜しみ、出発をためらう義経でしたが、弁慶船出を命じました

出港後すぐに船が突然暴風に見舞われ、波の上に、壇ノ浦で滅亡した平家一門の亡霊が姿を現しました

なかでも総大将であった知盛の怨霊は、怨念を込めて義経を海底に沈めようと、薙刀を振りかざして襲いかかります。

歌川貞秀による絵画「大物の浦罔像の圖 文化4年」

大物の浦罔像の圖 文化4年(1807)~明治11年(1878)頃 歌川貞秀

弁慶は、数珠をもみ必死に五大尊明王に祈祷します。祈りの力によって明け方に怨霊は彼方の沖に消え、白波ばかりが残りました。

平知盛が記述されている書籍

知盛 (絵巻平家物語 9) 大型本 – 1991/1/1

平清盛の闘い 幻の中世国家 (角川ソフィア文庫) 文庫 – 2011/11/25

平家物語図典 単行本 – 2005/3/9

平知盛が題材の絵

まとめ

一族の滅亡に気付きながらも全身全霊をかけて戦い抜いた知盛。

「見るべき程の事をば見つ。今は自害せん」

と言い残して潔く海に散ったその姿は、今も人々の胸を打ち『平家物語』の名場面として語り継がれています。

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