『水滸伝』の物語に最初に登場する青年豪傑・史進(ししん)。天微星の生まれ変わりで、梁山泊(りょうざんぱく)序列23位の好漢です。
体中に全部で9匹の青龍の刺青があることから「九紋龍(くもんりゅう)史進」と呼ばれました。
この記事では、江戸の人々に最も人気を集めた史進の物語を紹介します。
史進の生い立ち
史進は、華州華陰県史家村の保正の一人息子として生まれ育ちます。
百姓仕事を嫌い、小さい頃から武芸にばかり熱中していたため、母親はその心労から亡くなっています。
父親は諦めて息子の好きにさせ、高いお金を出して武術の師範を雇ったり、彫師を雇って刺青を彫らせたりしました。
師匠・王進との出会い
史進が18、9歳になったある日、彼の家に一人の男が訪ねてきます。
男は東京で禁軍の教頭をしていた王進といって、のちに史進の師匠になる人でした。
棒術の腕に覚えがあった史進ですが、王進にあっさり敗れ、己の未熟さを痛感します。
史進は王進の弟子となり、武芸十八般を授けられ、心技共に奥義を極めていきました。
そして王進は延安府へと旅立っていきました。
少崋山の山賊と通じて故郷を後に
やがて史進の父親が病で亡くなり、家業を継ぐことになりました。
その後、近くの少崋山の山賊・朱武、陣達、楊春の三頭領が村を襲撃してきたため史進と交戦、一騎打ちで陣達を破り捕らえました。
しかし陣達を捕えた史進の元へ朱武と楊春が共も連れずに訪れ、
「我ら三人は死ぬ時は一緒と誓い合った仲、死ぬために出向いてきた」
と言いました。
彼らの義侠心に感動した史進は陣達を解放し、これをきっかけに三人の頭領と交流し始めます。
ところが彼らとの手紙が盗まれて密告され、役人に囲まれたため、大立ち回りの後に屋敷に火をつけて逃亡。
一文なしになった史進は、三頭領の山賊の首領への誘いを断り、故郷を後に王進を探す旅に出ます。
途中、渭州に立ち寄り魯達(ろたつ)と出会い意気投合。しかし魯達はある事件で追われる身でした。
史進は一度魯達と別れますが、渭州で魯智深(ろちしん)と名を変えた魯達と再会します。
魯智深は二人の盗賊との戦いに苦戦していましたが、史進の加勢によって退治に成功。
その後魯智深と再び別れた史進は、諸国を放浪後に結局少崋山に戻り、山賊の首領となるのでした。
華州から救出され梁山泊の仲間に
数年後、史進は華州で捕らえられていたところを、梁山泊から救援に来た宋江(そうこう)や魯智深たちに助け出され、三頭領と共に梁山泊の仲間になりました。
しかし、一騎打ちでは無類の強さを誇る史進でしたが、将として軍勢を動かす才には恵まれなかったようです。
史進の最期は、方臘(ほうろう)討伐戦で五人の頭領と共に敵の関所へ偵察に向かうも待ち伏せされ、弓の名手・龐 万春(ほう ばんしゅん)に喉を射抜かれて絶命-。
五人の頭領も敢えなく射殺されてしまいました。
九紋竜史進が記述されている書籍一覧
柴錬水滸伝 われら梁山泊の好漢 1 風雲篇 (集英社文庫) 文庫 – 2002/7/19
水滸伝〈3〉白虎山の攻防 (ハルキ文庫) 文庫 – 2015/8/7
まとめ
武力の高さを評価され、梁山泊での活躍を期待された史進でしたが、結局梁山泊入り後には華々しい活躍を見せることはありませんでした。
それでも史進の人気が高かったのには、長身で色白の肌に九匹の龍の刺青をした粋な姿が、江戸の人々の好みに合ったからでしょう。
現代でも刺青の題材として大変人気です。史進自身に九匹の龍が入っているため、二重彫りに時間がかかりますが、仕上がった時はカッコイイものになっているでしょう。