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平安時代には数々の武将が知られていますが、「渡辺綱(わたなべのつな)」という武将はご存じでしょうか?
摂津源氏の源頼光に仕えた「頼光四天王」の筆頭として活躍し、数ある鬼退治の逸話でも有名な人物です。
また、平安時代のイケメン武将で有名でありながら鬼退治の逸話が残る豪傑でもあります。中でも酒呑童子の側近である茨木童子との戦いの構図が有名で、刺青でも大人気の題材の一つです。
この記事では、渡辺綱の生い立ちや逸話、タトゥーデザインの特徴について紹介していきます。
デザインの特徴
愛刀「髭切の太刀」 で茨木童子の腕を切り落とし打ち払うする構図は大変有名で男らしい刺青の題材として用いられることが多いです。
綱が甲冑を身に着けている姿は酒呑童子退治で見られますが、刺青で人気の題材は茨木童子退治の為着物を羽織った姿が多く見られます。
渡辺綱の生い立ち
渡辺綱は945(天慶8)年、武蔵国足立郡箕田(埼玉県鴻巣市)に生まれます。
正式名称は「源綱(みなもとのつな)」。
同年、父・嵯峨源氏の源宛(みなもとのあつる)がわずか21歳で他界。
のちに摂津源氏の源満仲の娘婿で仁明源氏の源敦(みなもとのあつし)の養子となり、母方の里の摂津国西成郡渡辺に移り住んだ際に「渡辺綱」、あるいは「渡辺源次(わたなべげんじ)」などと称するようになりました。
その後は満仲の長男・源頼光に仕え、「頼光四天王」の筆頭として剛勇な武将として知られました。
頼光と四天王は、『大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)討伐』、『土蜘蛛(つちぐも)退治』などの活躍で有名になりました。
渡辺綱の逸話
渡辺綱といえば、一条戻り橋で鬼の腕を切り落とした『一条戻り橋の鬼退治』の逸話で有名ですが、のちに『羅城門の鬼退治』と変換されています。
『一条戻り橋の鬼退治』
頼光の用事で綱は一条大宮に馬で向かい、その帰りに一条堀川にかかる戻り橋で若い女から「五条わたりへ送って欲しい」と頼まれます。
綱は女を馬に乗せ走らせると、今度は「都の外へ送って欲しい」と。
綱が「どこへでも送ります」と言うと突然女は鬼となり、綱の髪をつかんで愛宕山(あたごやま)へ連れ去ろうと綱もろとも飛び上がります。
綱は源氏の名刀「髭切の太刀」を抜き、鬼の腕を切り落とし、北野社の回廊に落下。鬼は片腕を失いながら愛宕山へと飛び去っていきました。
その後、綱の養母に化けて綱の屋敷を訪ねた鬼が、斬り落とされた片腕を奪い取り大空へと消えたとされています。
綱の愛刀
出典元:最上義光歴史館
正式名称「鬼切安綱」(おにきりやすつな)別名を[髭切]、[鬼切丸]と呼びます。
鬼切安綱は源氏の棟梁「源満仲」(みなもとのみつなか)が「天下を守るためにふさわしい刀」を求め刀鍛冶を集め打たせた太刀です。
良い刀をなかなか打てない満仲は困り、「八幡宮」に祈願に赴きます。
その夜、満仲は八幡大菩薩から「60日間かけて鉄を鍛え、その鉄で2振の太刀を打ちなさい」とお告げがありました。
それを元に長さ2尺7寸(約80cm)となる2振の太刀を作り上げたのです。
1振目は、試し斬りで髭まで斬ったことから「髭切」と名付けられたのちの鬼切安綱。2振目は「膝丸」(ひざまる)別名「薄緑」と名付けられました。
その2振は、源満仲の子源頼光に伝えられ、宝刀として源氏に代々受け継がれた刀となりました。
その後一条大宮に鬼が出ると噂を聞きつけた頼光が鬼が出るかもしれない。
と「鬼切安綱」を綱に授けます。
鬼の腕を斬った髭切の太刀は「鬼切丸」と改名。
以後「鬼切安綱」は渡辺綱の愛刀として知られることとなります。
※現在「髭切の太刀」は北野天満宮に奉納されております。
渡辺綱の余談
『源氏物語』の主人公「光源氏」のモデルとされる源融(みなもとのとおる)。その曾孫(ひまご)にあたるのが綱の父・源宛です。
つまり、綱は源融の子孫であり、融と同様に美男子で有名だったといわれています。
また渡辺綱の子孫は「渡辺党」と呼ばれ、のちに繰り広げられる源平合戦で水軍として大いに活躍することとなるのでした。
渡辺綱が記述されている書籍一覧
羅城門の鬼 (ケイブンシャノベルス―平安京英雄譚) 新書 – 1991/2/1
まんが訳 酒呑童子絵巻 (ちくま新書) 新書 – 2020/5/8
鬼を切る日本の名刀 (エイムック 4600) ムック – 2020/4/14
まとめ
剛勇・剛腕で頼光とともに「頼光四天王」として活躍した渡辺綱。四天王の中では断トツの人気を誇る渡辺綱ですが、鬼退治以外の画があまり残されておりません。ですが、残された武者絵は傑作と呼ぶにふさわしいものばかりの為、人気の刺青の題材となっております。
「一条戻り橋の鬼退治」の鬼については諸説あり、頼光と四天王が退治した酒呑童子の弟子「茨木童子(いばらきどうじ)」や、丑(うし)の刻参りの元になった貴船明神伝説の「宇治の橋姫」だともいわれています。
また現代では、綱の子孫とされる「渡辺姓」の人々には、節分に豆まきをしなくても鬼は近寄ってこないとされているのだとか。
これは渡辺綱が多くの鬼を退治した事が由来なのだそうですよ。