『水滸伝』に登場する天損星の生まれ変わりで梁山泊序列第三十位の好漢・張順(ちょうじゅん)。
泳ぎの達人だったことから「浪くぐりのハヤ」を意味する浪裏白跳(ろうりはくちょう)と呼ばれていました。
この記事では、梁山泊で水軍頭領として活躍した張順の生涯とタトゥーデザインのポイントについて紹介します。
潜水泳法の達人
引用元:Wikipedia
張順は張横の実弟で、江州で魚問屋を営んでいました。
ある日、張順が生簀(いけす)へ向かうと漁師たちが大騒ぎをしていました。
何事かと思えば、色の黒い大男が魚を横取りしようと漁船を追い払い、誰かれ構わず殴り飛ばしていました。
この男は李逵(りき)といい、宋江(そうこう)を絶対的存在と仰ぐ男で、宋江のために魚を分けてもらいにきたのでした。
そうとは知らない張順は李逵に近づき懲らしめようとしますが、とてつもなく強く手も足も出ません。
そこへ李逵と知り合いの二人の男が止めに入り、張順は逃げ出すことができました。
しかし、どうにも腹の虫が治らない張順は李逵が乗った船に飛び乗り、泳げない李逵を水中に引きずり込んで懲らしめました。
宋江との出会いから梁山泊入り
この様子を見ていた二人の男が、張順に兄・張横からの手紙を持っているのだと声をかけます。
この二人の男とは、牢役人の戴宗(たいそう)と高名な宋江でした。
この一件で張順は宋江、戴宗、李逵と親しくなります。
その後、宋江が謀反を企んだとして、戴宗ともども江州で処刑されるという情報が張順のもとへ届きます。
そこで張順は仲間とともに宋江救出に向かいます。
江州に着くと梁山泊の好漢たちに二人は救出されていました。宋江に謀反の罪を着せた黄文炳(こうぷんぺい)を襲撃し制裁した後、こうして張順は梁山泊の一員となったのです。
梁山泊での活躍
張順は、梁山泊では水軍の頭領として活躍します。
宋江が病に倒れると、張順は過去に母親の病を治してもらった名医・安道全を建康府まで迎えに行きます。
途中、渡し船の船頭に金品を奪われ、簀巻きにされ川に投げ込まれましたが、七日七晩も水に潜ることができる張順は水の中で綱を噛み切り脱出。
安道全と共に揚子江を渡る際、張順は自分を襲った船頭の船に乗り、復讐を遂げ梁山泊へ戻りました。
百八星終結後、改めて水軍頭領の一人として西の水塞(すいさい)を守るも、梁山泊が朝廷の招待を受けて帰順することには徹底的に反発。帰順後も最後まで朝廷への不信感は募るばかりでした。
【水門破り】張順の最期
梁山泊軍最後の戦いの方臘(ほうろう)討伐の中盤、敵軍が杭州城にこもり、戦いはこう着状態に。
張順は水門を通って城内に忍び込むことを提案。
たった一人で城門前まで忍び寄り、敵が寝静まるのを見計らって城壁を登ります。
しかし、城の半分あたりまで登ったときに敵の罠だと気づき、慌てて水中に逃げようとしましたが間に合わず、弓や槍、落石で攻撃を受け絶命しました。
張順のこの絵は大変ですが、実はこのシーンを最後に張順はなくなっています。
張順が記述されている書籍一覧
水滸伝 下 新版 (岩波少年文庫 543) 単行本 – 2001/6/18
絵巻水滸伝 第一部 第九巻 天魁星受難(上) 単行本(ソフトカバー) – 2018/1/1
まとめ
水泳の達人が多い水軍の中でも張順の実力はずば抜けており、人間離れした雰囲気をかもし出していたとされます。
敢えない最期を遂げた張順でしたが、死後は作中でも長江の「水神金華将軍」として祀られるという特別な扱いを受けました。
劇的な最期を遂げた張順ですが、その直前の水門破りの構図。刺青の題材として大変有名なものです。かっこいい刺青の題材ですが、その実を知ると見方も変わって見えてきますね。
かっこいい刺青の題材として超有名な水門破りのデザイン。大きい部位におすすめのタトゥーデザインです。