和彫りは日本の伝統的な刺青のスタイルです。
古くから継承されている和彫りには、語り継がれたルールが存在します。
施術の際は伝統を重んじてルールに沿ったスタイルでのデザイン作成が必要です。
本記事では日本伝統刺青のデザインのルールと歴史についてご紹介いたします。
和彫りとは?和彫りの歴史、和彫り 意味
日本最古の刺青と刺青の文献
「入れ墨」「彫り物」などタトゥーは日本で様々な呼び名があります。現在よく使われる「刺青」ですが、これは「入墨」の文章語で、日本文学史を代表する小説家:谷崎潤一郎の小説「刺青(しせい)」が有名になったことから一般的な呼び名として定着しました。
日本最古の刺青は縄文時代からという説はあるが詳細は不明です。
弥生時代に中国から伝来された魏志倭人伝によると
3世紀頃の倭人(日本列島の住民)は「男子は大小と無く、皆鯨面(顔に刺青を入れる)文身(体に刺青を入れる)す」
の記述があり、邪馬台国の男はみな「入れ墨」を入れていたと伺えます。
【江戸時代】刑罰としての入れ墨とファッションの彫り物
引用元:pintrest
刑罰としての入れ墨
出典:twitter
時は八代将軍・徳川吉宗の時代。大都市を中心に増加する犯罪を抑制するため「入れ墨」を刑罰として採用し始めました。
この頃の「入れ墨」は犯罪者が主に入れるものでした。
「入れ墨」刑は地域によって彫られる個所や模様が異なり、一部地域では「おでこに墨を入れる刑」がありました。
ファッションとして繁栄した刺青(彫り物)
「火事と喧嘩は江戸の華」と言われた【粋】の時代の江戸時代。
肌を露出することの多かった火消し衆や飛脚、大工などといった男たち。彼らは、全身に刺青を施す苦痛に耐えた「勇気」や「男気」を誇示するため、インパクトのある豪華絢爛な刺青を纏いました。
なぜこの頃「彫り物」が流行したのか?
それは中国から伝わった、ヒーローたちが活躍する人気小説
『水滸伝』がきっかけでした。
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男たちはヒーローたちの全身に色鮮やかに彫られた美しい「彫り物」に魅了されこぞって自らも「彫り物」施すようになりました。
この頃彫師もまた浮世絵の技術を取り入れてより洗練された「彫り物」施すことが可能になりました。このこともまた、江戸の「彫り物」ブームを加速させる要因となりました。
【明治時代】ファッションの入れ墨から隠す美学の入れ墨へ
その後、明治時代になると「刺青」は反社会的な存在と認識されて「刺青禁止令」が発布され、刺青を廃絶しようとする流れが強くなりました。
江戸時代からの【粋】で血気盛んな男たちの間で刺青の文化を廃れず、影を潜めながら刺青の文化は脈々と続いてきました。第二次世界大戦が終結するまでこの刺青文化は継承されていきます。
現代まで続く刺青を隠す美学の刺青はこの頃からの流れと考えられます。
和彫りの用語
白粉彫り、化粧彫り
普段は全く見えないけれども、体温が上がると見えてくるというファンタジーの刺青です。しかし、現代ではブラックライトで反応するタトゥーもあり近いものがありますね。
ぬき彫り
背景を彫らずメインとなるモチーフのみを彫る刺青のスタイルを指します。
額彫り
ぬき彫り+みきり(背景)を彫ることを指します。
二重彫り
刺青の中に刺青を彫る。モチーフとなる題材自体に刺青を彫ることを指します。
かくし彫り
通常では彫らない部位、普段見えない部位(上腕の内側など)に刺青を彫ることを指します。
見切り/みきり
刺青の途切れるところ、刺青を入れない部分。見切れる部分を指します
ミキリは岩や雲、波や風、などの表現も含みます。
ひかえ
腕のつけ根から胸(乳首上下)にかけて彫る型を指します。
控えるの意味があり、太鼓と呼ばれる事もあります
牡丹みきり
見切り部の袖、ひかえ部が丸みを帯びた半円に状になっていることを指します。
曙みきり
見切り部の袖、ひかえ部をフェードアウトさせるようぼかして彫ることを指します。
ぶつ切り/ぶっきり
見切る部分をスパッと直線で見切る技法です。
デザインの種類
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デザインの構図
参照:長崎大学附属図書館
現代の刺青ではあまり見ないように感じます。
幕末の伝説の彫師:彫千代(イギリスの王族に刺青を施したとされている)
彼の体には関東彫りの刺青が伺えます。
刺青の型として一般的なものが関西彫りです。
現代では関東でも乳首の上までのひかえを彫ることが一般的となっています。
乳首の下までのひかえとなるのが関西彫りスタイルです。
胸割りは体の中心に刺青を彫らないスタイルを指します。
何故体の中心に彫らないのか?
昔の着物(半纏など)を羽織った際に刺青が見えないように。という江戸時代の「粋」を表現しているという説があります。
まとめ
皆さんご存じの通り日本人の刺青に対しての感情はあまりオープンなものとは言えないです。
それは長い歴史によるものです。ファッションとして繁栄した江戸時代後期の刺青も素晴らしいと思います。ですが、江戸時代から現代に続く隠す美学の刺青というのも個人的には素晴らしいと思います。
和彫りにはモチーフ毎の意味もありますが、その背景に歴史に深く結びつく意味も孕んでいます。表面的な意味だけではなく歴史も学んで和彫りを入れるようにしましょう!