【TattooDesign.jp】これからタトゥーアーティストになる方向けの情報。彫師向けに刺青に知識、タトゥーデザインをご紹介。刺青の彫師タトゥーアーティストの為の情報サイト

女性武将がモチーフの刺青|巴御前のタトゥーデザインをご紹介

https://www.youtube.com/watch?v=CunLpGjOPQA

武将の刺青はカッコいいの象徴ともいえる刺青だと感じます。

本記事で紹介する巴御前は数少ない女性武将でも一騎当千と恐れられておりました。女性で強いってカッコいいですよね。また巴御前の刺青は入れている人も少ないため

・人と被りたくない。

・でもカッコいい刺青が欲しい

・カッコいいと綺麗を両立した刺青が欲しい

方にはおススメのモチーフです。

巴御前を入れる際のススメ

巴御前の刺青はなかなか珍しいためオンリーワンを求める方へおススメです。男性の武将ではあまり見られない薙刀を携えた構図は女性モチーフ特有の美しさを表現できます。

デザインの特徴

巴御前デザインの特徴

巴御前の逸話

巴御前の刺青に興味がある/女性の武将に興味がある方に謎の多い豪傑、巴御前の逸話を紹介します。

 

巴御前はどんな人物?

巴御前(ともえごぜん)は、平安時代末期の信濃国の女性です。女武者として伝えられている彼女は、源平合戦で活躍した源氏の武将・木曾義仲の愛妾(お気に入りのめかけ)として知られています。
「源平闘諍録」によれば樋口兼光の娘、「源平盛衰記」によれば中原兼遠の娘、樋口兼光・今井兼平の姉妹とされています。

どんな生涯を送った?

女武将として日本で一番の知名度を誇ると言っても過言ではない巴御前ですが、実は巴御前がどのような生涯を送ったかは定かではありません。

それというのも、巴御前が登場するのは軍記物語の「平家物語」と「源平盛衰記」のみであり、当時の一次史料や鎌倉幕府編纂書の「吾妻鏡」には、その存在は確認されないからです。

しかし、巴御前の塚は全国に15ヶ所も存在しており、彼女にまつわる伝承は多数残っています。

ここでは、軍記物の中に登場する彼女の逸話を紹介したいと思います。

軍記物の中の巴御前

巴御前は、軍記物語「平家物語」では「木曾最期」の章段だけに登場します。木曾四天王と共に源義仲に従軍し、源平合戦(治承・寿永の乱)で戦う女武者として描かれました。


「巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」

と記され、美しく強い女性だったことが窺えます。
宇治川の戦いで敗れ落ちのびる義仲に従い、最後の5騎になっても討たれず付き添いました。


しかし、義仲は「お前は女なのだから、どこへでも行け。我はここで討ち死にするだろうから、最後まで女を連れていたとあっては聞こえが悪い」と巴を落ちのびさせようとします。巴は尚も付き従いますが、再三再四言われたため、「あぁ、いい敵がいないでしょうか。最後の戦をしてお見せ申し上げたい」とその場に留まりました。
そこへ、武蔵国に名高い力持ち、御田八郎師重が30騎ほど率いて現れます。巴はそこに駆け入り、

八郎を馬から引き摺り落とし、首をねじ切って捨てる

という勇猛さを見せつけます。その後武具を脱ぎ捨てて、東国へと逃げて行った、と記されています。

「英名組討揃 巴御前 内田三郎」 画・月岡芳年

 

また、「平家物語」には、口伝で継がれてきた語り本系と、読み物として増補された読み本系の2系統があるのですが、読み本系の「延慶本」では、左右から襲いかかってきた敵を両脇で羽交い絞めにして、相手の頭がもげて死んだという記述があり、よほどの強さだったのでしょう。

また、「源平盛衰記」では巴御前のことがより詳細に描かれています。
こちらでは倶利伽羅峠の戦いにも大将の一人として登場しており、横田河原の戦いでも七騎を討ち取って高名を上げました
こちらの義仲は宇治川の戦いで、「信濃国を出る時に妻子を捨て置き、また再び見ずして、永き別れの道に入ることこそが悲しい。
最後の伴をするよりも、一刻も早く忍び落ちて信濃へ下り、この有様を人々に語れ」と、自らの最後の有様を人々に語り伝えよ、と巴に言っています。


更に、巴は落ち延びた後に源頼朝から鎌倉へ召喚され、斬首されそうになった所を和田義盛に助けられ、その妻となって朝比奈義秀を生みます。

義盛の死後は倶利伽羅峠の戦いで共に戦った越中国の石黒氏の元に身を寄せ、出家して主・親・子の菩提を弔う日々を送り、91歳で生涯を終えたという後日談が語られています。

各地に伝説を残す巴御前

歴史資料にその確実な足跡を見ることは現状適いませんが、各地に巴御前の存在を感じることはできます。
なかでも、滋賀県にある木曾義仲を葬った義仲寺は、尼となった巴御前が木曽義仲供養のために墓所のほとりに草庵を結んだのが始まりだと言われています。
俳人・松尾芭蕉はこの寺を愛し、自分の亡骸を木曽塚(木曽義仲の墓所)に送れという遺言を残しており、松尾芭蕉もこの義仲寺で眠っています。松尾芭蕉の弟子・島崎又玄が「木曽殿と背中合わせの寒さかな」と詠んだ句が有名です。

巴御前が記述されている書籍一覧

大鵬が行く ~義仲と巴御前~ 単行本(ソフトカバー) – 2018/7/31

巴御前〈1〉 (光文社時代小説文庫) 文庫 – 1989/11/1

巴御前―動乱の世を天翔る木曽谷の女武者 (ロマン・コミックス 人物日本の女性史 13) 単行本 – 1985/1/1

まとめ

実際に存在していた、いないに関わらず巴御前の逸話は男勝りの豪傑で非常に興味深い武将ですね。

首をねじ切るなんて怖い話ですが、芳年の絵なんかは刺青とても映えるのではないでしょうか。

刺青写真は少ないためお持ちのタトゥーアーティスト/タトゥーカスタマーの方の写真をお待ちしております。

書籍

  • B!